少額ながら今年も寄付しました。

BSU7EL6

今回は藤子が考えるWikipediaは課金してでも継続させるべき理由を3つ紹介したいと思います。

無くなったら困る

単純にWikipediaが無くなると困ります。どこからでもアクセスできるレファレンスカウンター(図書館で資料探してもらうアレ)みたいなものだと思っているんで、とりあえずアタリをつけるという時にWikipediaが一番手頃なんです。

藤子は学生なんで、レポートを書くときにも重宝してます。信ぴょう性の問題からWikipediaだけを参照するのはNGなんですが、記事の最後に載っている参考資料を漁れば必要な情報は大体手に入るんで、該当の資料を図書館で調達してくればOKです。

広告をつけるべきではない

「無料で運営できないなら広告つけりゃいいじゃん」って声もありますが、スポンサーがついたらその企業のマイナスポイントが書けなくなります。全く関係ないジャンルの広告なら、という方法は、幅広いジャンルの情報を扱うWikipediaには不可能だし、そんな広告打ったとしても収益性が望めません。

知る自由を守ることになる

ジミー・ウェールズの嘆願文にこんな文章があります。

ウィキペディアは特別なものです。例えるなら、図書館や公園のようなものです。知の神殿のようなものでもあります。私たちが考えたり、学んだり、知識を分かち合ったりできる場所です。

今すぐ寄付を - Donateより引用

街の図書館が原則無料なのは、基本的人権の1つとして保証されている知る権利を守るためである、というのはご存知でしょうか。要するに「誰でも知りたいことを知る機会を有するべきだ」ということなんですが、Wikipediaもこの知る権利を保証するためのツールとして、一定の地位を築いていると思います。

例えば普段メディアリテラシーの低い学生でもレポートを書く際にWikipediaから情報を引っ張ってこようとするように、多くの人にとって「調べ物といえばWikipedia」というのは非常にスタンダードな選択肢になっています。理由は無料で使えて、膨大な量の情報があるから。実際にWikipediaに寄付をすると感謝のメールが届くんですが、Wikipediaを使って勉強して大成した人物のエピソードが紹介されています。ちなみに今回はインド人が携帯電話でWikipediaを使って勉強してエンジニアになったお話でした。

例えば、インドのソーラープルで生まれた、アクシャヤ・アイエンガーがいます。織物業が盛んな小さな町で育ったアクシャヤは、ウィキペディアを主な情報源として学んできました。本は手に入りにくいものの携帯のインターネットは使えるこの地域の学生にとって、ウィキペディアは学習の手段なのです。アクシャヤは、インドで大学を卒業後、今ではアメリカでソフトウェアエンジニアとして働いており、彼女の知識の半分がウィキペディアのおかげだと語っています。

ウィキメディア財団からの感謝のメールより引用

よく言われるように掲載された情報の信ぴょう性に関しては問題も有るんですが、多くの人にとっては、Wikipediaは図書館よりも身近な存在だと思います。我々の知る権利を守るためにも、少額の寄付というのは必要ではないでしょうか。

終わりに

藤子は毎回500円前後は払うようにしてます。多分自治体の図書館とかにも税金でそれ以上払っているでしょうし、使用頻度を考えたら新書一冊分くらい出しとくか、という感覚です。

個人的には寄付の方法がクレジット一択、というのは結構痛いんじゃないかと思います。流出とかも怖いし。iTunesやGooglePlayだったり、Webマネーや携帯電話の料金引き落としみたいな形で払えるようになれば、もう少し日本からの寄付も増えるんじゃないかなー。

⊂二二二( ^ω^)二⊃ブーン!